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ハインリヒ・ハラー(H.ヒラー)

ハインリヒ・ハラー(~2006年1月7日) オーストリア生まれ

チベットの七年―ダライ・ラマの宮廷に仕えて主な経歴・業績:
・1939年、友人アウフシュナイターらとヒマラヤ・ナンガバルパット登頂を目指し出発
・雪崩のため登頂を断念
・1940年9月、第二次世界大戦が始まりインドの捕虜収容所に収容される
・1942年9月、脱走に成功。アウフシュナイターと再会し2年間逃避行
・1944年、ラサに潜入
・ダライ・ラマの個人教師となる

著書・関連書:
チベットの七年―ダライ・ラマの宮廷に仕えて
セブン・イヤーズ・イン・チベット―チベットの7年
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2015年01月01日 | 未分類 | トラックバック:0 | コメント:0

三浦敬三

三浦敬三(1904年2月15日~2006年1月5日)

三浦敬三 生涯現役―スキーと自然を愛し、人生を楽しむ達人主な経歴・業績:
・1924年、北海道大スキー部で本格的にスキーを始める
・青森営林局勤務時代に八甲田山で山スキーを開拓
・1961年、世界山岳写真ビエンナーレ展に入賞
・1981年、アフリカ最高峰キリマンジャロ(5895m)を親子3代で滑降
・2003年、内閣総理大臣表彰、フランス政府スポーツ青少年功労賞受賞
・2004年2月、99歳でモンブランからのスキー滑降
・百歳を超えても国内外でスキーを続けていた

著書・関連書:
遥なる山を訪ねて―三浦敬三山岳写真集
三浦敬三 生涯現役―スキーと自然を愛し、人生を楽しむ達人
101歳の少年
百歳、山スキーと山岳写真に生きる
100歳、元気の秘密
100歳「元気生活」のススメ―“一生元気”を実現する生き方の処方
99歳、モンブラン大滑降に挑む
98歳、元気の秘密
三浦家の元気な食卓―驚くべきパワーの秘密

2015年01月01日 | 冒険家 | トラックバック:0 | コメント:0

ギャチュンカン(GyachungKang)

垂直の記憶―岩と雪の7章 2005年10月17日、「福岡大学山岳会ギャチュンカン登山隊」の花田博志・登攀隊長と重川英介隊員(西日本新聞社記者)がヒマラヤ・ギャチュンカン(7952m)の南西稜ルートからの登頂に成功した。同ルートでの成功はじめて。福岡大山岳会登山隊は1988年にも同ルートで挑戦したが失敗、隊員(28)が滑落して遭難死し、17日は遭難日だった。関連記事

 ギャチュンカンには、1964年4月、長野県山岳連盟ヒマラヤ登山隊(古原和美隊長・加藤幸彦隊員ら)が世界初登頂。2002年10月には、山野井泰史・妙子夫妻が北壁に挑戦し泰史氏が登頂成功したが、下山途中に雪崩に巻き込まれ、凍傷を負った。沢木耕太郎が最新作『』で詳細を克明に描いている。 関連記事

2015年01月01日 | | トラックバック:1 | コメント:0

小西浩文(こにし・ひろふみ)

小西浩文(1962年3月15日)石川県生まれ
公式HP:http://www.sportsman.ne.jp/konishi/

無酸素登頂八〇〇〇メートル一四座への挑戦―スーパークライマー小西浩文の愛と墓標主な経歴・業績:
・1982年、中国・シシャパンマ(8012m) 無酸素登頂
・1991年、パキスタン・ブロードピーク(8051m) 無酸素登頂
・1993年、パキスタン・ガッシャブルム2峰(8035m)
 戸高雅史山野井泰史ら4人全員で無酸素登頂
・1995年、中国・チョーオユー(8201m) 無酸素登頂
・1997年、ネパール・ダウラギリ1峰(8167m) 無酸素登頂
同年、パキスタン・ガッシャブルム1峰(8068m) 無酸素登頂
・ヒマラヤに14座ある8000峰すべての無酸素制覇に挑戦している

著作・関連書:
無酸素登頂8000メートル14座への挑戦―スーパークライマー小西浩文の愛と墓標

2015年01月01日 | 冒険家 | トラックバック:0 | コメント:0

戸高雅史(とだか・まさふみ)

戸高雅史(1961年)大分県生まれ
関連URL:野外学校FOS http://www.feel-our-soul.com/
関連記事:http://sf01.asahi.com/yamanashi/news01.asp?c=5&kiji=417

A LINE 地平線の旅人主な経歴・業績:
・1990年8月、パキスタン・ナンガパルバット(8125m) 無酸素登頂
 後続隊員(29)が滑落死
 『運命の雪稜―高峰に逝った友へのレクイエム
・1993年、パキスタン・ガッシャブルム2峰(8035m)
 小西浩文山野井泰史らと無酸素登頂
・1995年7月、パキスタン・ブロードピーク(8051m)
 北-中央-主峰 無酸素縦走
・1996年7月、K2(8611m)  単独・無酸素登頂(世界2人目)
・1998年、チョモランマ(8848m) 8500mまで登攀
・高校講師を経て、現在、山梨県山中湖村で野外学校FOSを主宰

著書・関連書:A LINE 地平線の旅人

2015年01月01日 | 冒険家 | トラックバック:0 | コメント:0

エルキャピタン(El Capitan)

el.jpg
Photo by (c)Tomo.Yun

 2004年10月20日、米ヨセミテ公園事務所がエルキャピタンの山頂付近で日本人男女2人が死亡しているのを発見した。現場は約1000メートルのがけがほぼ垂直に切り立った絶壁。悪天候のためヘリによる救助が遅れ、21日に遺体が収容された。2人は兵庫県尼崎市の「自然学校やまかぜ」の代表とスタッフだった。19日に低気圧の接近で季節外れの強い風雪となり、がけの中腹で動けなくなっているのを他の登山者に目撃されていたという。 2人は9月24日から10月24日までの日程でロッククライミングツアー参加、「The Noseノーズ」というルートで挑戦していた。

2015年01月01日 | 未分類 | トラックバック:1 | コメント:0

平山ユージ(ひらやま・ゆうじ)

平山ユージ(1969年2月23日)東京都生まれ
公式HP:http://www.jsmgroup.co.jp/yuji/top1.html

フリーダム―平山ユージの世界主な経歴・業績:
・15歳からクライミングを始める
・1997年9月、米ヨセミテ・エルキャピタンSalathe Wallサラテ』ルートを2日間で完登
・1998年、フリークライミングW杯で日本人初シリーズ総合優勝
・1999年、世界選手権で準優勝
・2000年、ワールドカップ2度目の総合優勝
・2003年10月、エルキャピタン『エルニーニョ』『ゴールデンゲート』ルートに挑戦、成功

著書・関連書:
ユージ ザ・クライマー―世界最強のクライマー平山ユージのライフストーリー
フリーダム―平山ユージの世界
Live in Japan[DVD]―平山ユージの世界日本の岩場を登る
Live in Japan[ビデオ]―平山ユージの世界日本の岩場を登る

2015年01月01日 | 冒険家 | トラックバック:0 | コメント:0

河野兵市(こうの・ひょういち)

河野兵市(1958年4月12日~2001年5月)愛媛県生まれ
河野兵市事務局:http://www2.ehime-np.co.jp/rh/index.html

みかん畑に帰りたかった―北極点単独徒歩日本人初到達・河野兵市の冒険主な経歴・業績
・1982年、アラスカ・カナダを流れるユーコン川(2000km)
 52日間でいかだとゴムボートで漕破
・1983年7月、マッキンリー(6194m)登頂
・1983年、ロサンゼルス~ニューヨーク(6000km)を180日で徒歩横断
・1984年、アメリカ三大マラソン完走
 4月ボストン3時間45分、11月ニューヨーク5時間45分、12月ホノルル3時間25分
・1986年1月、南米最高峰・アコンカグア(6960m)登頂
・1987年、ヒマラヤ・ナンガパルバット(8,125m)挑戦 氷壁でアイスブロックを顔面に受け負傷
・1990年11月~翌3月、リヤカーを引きサハラ砂漠(5000km)を129日間で縦断
・1997年3月~5月、日本人初北極点単独徒歩到達
・1999年、沖縄~松山(1300km)をシーカヤック漕破
・2001年3月、REACHING HOME(北極点から徒歩・シーカヤックで日本まで帰る旅)に出発
 2007年に愛知県瀬戸町に帰る予定も、2001年5月17日北極海で連絡が途絶え、24日遺体で発見

著書・関連書:
みかん畑に帰りたかった―北極点単独徒歩日本人初到達・河野兵市の冒険
北極点はブルースカイ 日本人初の780キロ単独踏破
絆―河野兵市の終わらない旅と夢
河野兵市アドベンチャーワールド 特別速報グラフ北極点を踏んだ男

2015年01月01日 | 冒険家 | トラックバック:0 | コメント:0

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